〈移ろい〉

2017年秋発行 

 

短篇/掌篇/不思議/非日常
春夏秋冬になぞらえ、それぞれ独立した全四篇


五感は言葉にならない。

人は一人として同じ景色を見ない、聴かない、匂わない、食さない、触れない。

均された言葉は遠い。わたしからも、あなたからも。

ならばせめてわたしはわたしの言葉に誠実でありたい。

さて、わたしの言葉は遠いでしょうか、どうでしょうか。

【花咲み】試し読み
短篇/不思議/酒/煙草/夜

「や、花咲みに立ち会ったのかい」
 相槌も打たず耳のみ此方に向けていた友人は、私が話し終わると同時に目線を寄越した。感嘆の声を上げる。知らない言葉だった。

ーー微酔いの語りは感覚的かつ不明瞭に、春の夜の一面を描き出す。これは詩と物語の間にある何か。


【海に沈む】試し読み
掌篇/未来/海

 足元がひんやりとして温い。海水はじわじわと居間の床を侵食し、終の住処からは空気が泡となり逃げていく。まだ少し、時間は残されているようだ。

ーー自然に抗うことなどできない。死を待つ男は知る。


【此岸花】試し読み

短篇/家族/不思議

「いい子にしてたか?」
「もちろん」
 リビングには細かいブロックの欠片が散らばっていた。一帯の中央に鎮座する恐竜は、帰ってきてからずっと遊んでいた設定にしては出来が悪い。

ーー父と子、二人暮らし。しかしそこには秘密があった。



【迷子の栞】試し読み

短篇/未来/読書
(第二回Kino-Kuni文學賞 佳作)

 電子の文字と紙の文字とはやはりどこかしら違っており、慣れないうちは目の奥が突っ張り首の後ろまで硬くなる。頁を一枚めくるにも祖母ほどの無駄なく洗練された読み方には遠く及ばず、手先は無意味に繰り返す。

ーー近未来、少女は祖母の家で慣れない紙の本を読む。不思議な読書体験。